きらめき水

500mLと水溶性

それぞれの道に差す 光の波を越えてゆく

卒業しました。

夜桜のライトアップを一緒に観に行ってくれる人が出来たのに咲いてなかった。悲しい。24日から開花って言ったじゃん (TT)

 

正直コロナ禍だったし、入学当初から心は折られっぱなしで自粛期間に飯屋の切り抜きに出会ってからはのめり込むように配信を見るようになって鬼ほど内向的だったし、学外の人と話す時は、学校に友だちいないんで~…って濁すのが癖になっていたし、特段帰属意識もないし思い入れも何もなかったのだけれど。それでも卒業式の日は朝っぱらから会場の近くで着付けてもらって、式後から袴の返却時間までこんなにあっという間なの!?まだもうちょっと写真撮りたかった人いるのに!?って気持ちになるくらいには目まぐるしくて常に横には人が立っていて、なんだかんだ人に恵まれたし、学科時代に一緒に授業を受けていた友だちの1人と同じ研究室に入ってからは1年間ずっと実験やら発表準備と戦って、スタバもごはんも何度も行って相談し合ったり…ってなんかもう戦友みたいな関係を築いていたり。むしろこれ以上の交友があったら、きっと今以上にひとりひとりのことを大切に出来なくなっていて罪悪感に打ちのめされていただろうなーとも思う。これでよかったんじゃないかな、わたしの学生生活。つかず離れずの距離感でみんなと仲良くできてよかったな。対面授業が再開してまっさらな状態から友だちを作れる自信がひとつもなくて、ふわぐさの怪物を聴きながら毎日泣いてた頃が懐かしいです。

2年生の末ごろ、自分は本当にこのままでいいの?なんとなくサークルに入ってそれなりに踊っているだけの生活でいいの?って一度大きく凹んで自分と向き合ったタイミングがあって、その後果敢に面接を受けまくったり自分の抱えているわだかまりを言葉にして始めた有給のインターン。在学中に絶対やりたいと思っていた活動だったから参画できたこと自体に達成感や感動もあったし、そこで昔のわたしみたいに閉塞感や周囲と同じように在ることができずに苦んでいる中学生や高校生たちと出会って、彼らと関わったことはわたしにとってかけがえのない思い出です。なんか意図せずきれいな言葉になっちゃったけど…。笑 大したロールモデルになれた気はまったくしていないけど、少しでも彼らにとっての希望になるために、自分の中の明るかったり強い部分を抽出して、それらを知る作業を通じてわたしにも少し自信がついたし、誰かのためだけじゃなくてしっかり自分のためにもなった時間だなあと改めて思った。自分の性自認に苦しんだ時期が、虻と蜂という曲だけに支えられていたわたしが在ってよかった。

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(なんでもかんでも洗いざらい書くもんじゃないだろとは思いつつ)せっかくの機会なので書くんですけど、2年後期からおよそ1年間くらい、わたしは書痙という症状を抱えていました。音声で一回喋った気もする。簡単に云うと、利き手が文字を書くという場面"だけ"においてまったくいうことを聞かなくなってしまう、高レベルのポケモンがバッジの所持数によって無茶苦茶するやつみたいなもんです(??)。色々調べた結果、これ脳に問題があんのか…?と思って受けたMRIでは何の異常も見つからなくてホッとした反面、整形外科案件というより心的要因では?と言われて人生ではじめて心療内科を利用することになり。そこで貰う薬がさ~マジでありえないくらい眠くなるの!!死ぬ死ぬ!!そんな薬を飲みながら100分の講義なんて到底受けられるわけがなくて、学校に症状を伝えて措置を取ってもらえるようになったのも3年の春からで、手が動かない状態でテスト勉強するのも手書きの実験レポートを何枚も書き上げるのも本当に辛すぎて、その時期は一生なるせさんのツイキャスを聞いてた記憶がある。笑 教授の8割方が性格に難を抱えていたのも超絶ストレスだった…。その当時に研究室見学がてら軽く症状について相談していた先生が後の担当教授になったのは本当に幸運だったなあ。そんな状態のわたしの話を聞いて、全力で助けてくれた事務室のお姉さんには頭が上がりません。とかまあそんなこともあった。心療内科の受付のおばさんが会計時、500円玉のおつりが出るたびにこれが新しい500円玉なんだよ~って教えてくれたなあ。懐かしい。今はすっかり元気で毎日ほぼ日を書いてるし、バイト先に手紙を30人分認めたりしました。極端すぎる。

たまたま卒業式とバイト先の送別会の日程が被って、袴を返した後は大急ぎで職場に向かった。何度も書いてるからアレなんですけど、わたしは本当にこの職場にここでは書ききれないくらいの思い出があって…。それこそ同僚と社員さんに合わせて30人分手紙を書いちゃうくらいには大きい感情を抱いてるんですけど、なんかもう未だにここを卒業したことが嘘なんじゃないかって思うくらい現実味がないし、次の日も職場の友だちふたりとにじさんじのスイパラに行ってるし、グループを退会したとて殆どとインスタで繋がってるのでだから何?みたいなとこはある、正直。笑 全員大好き。中でも特に大好きなひとりの話をさせてください。

初めて挨拶した時にハイチュウをもらってからというもの*1、特に話す機会もなくて、というか彼女自身が業務以上に踏み込んで周りと仲良くするような振る舞いをしない人だった(うちは他の職場に比べて雑談する時間が圧倒的に多い)から、ものすごく私服がオシャレで私物やらメイクやら、どこを取ってもハイセンスなその姿を遠巻きに見てる程度だったんだけど。とある業務をきっかけに1週間くらい彼女を含めた3~4人のお姉さんたちとずっと一緒に作業したり休憩時間に近場のマックまで買いに行ったり、そんなことをしているうちに気が付いたら彼女…Mさんとします。Mさんがどんどん素のやばさを露呈してくれるようになって。笑 なにこの人、めちゃくちゃおかしいじゃん!?って気付いてからはどんどん大好きになってしまって、波長も合うしマイペースだし、どんだけ業務が忙しかろうとメンタルがブレないところが人間として尊敬できて、もうとにかく好きでシフトが一緒の日は分かりやすく機嫌がよくなるくらいには好きだった。w そんなわたしをハイハイってほぼ無視レベルで受け流すくせに、店舗で開催した飲み会でべろべろになってふらふらしながら一人で駅に向かってたら走って後ろから追い付いてきて、自分の荷物も何も持たないまま駅まで一緒に歩いてくれたり。雑談程度にシーに行ってビリーブを見たいんだよね~って話をしてたら、じゃあ行こうよ、いつにする?って即日程を決めてくれたり、バイト中疲弊しきったわたしの前で何食わぬ顔で奇行に走ってるMさんにどうしちゃったの?って聞いたら、みんなが疲れた顔してるからわたしがおかしなことすることでみんなに笑ってもらおうかなって…とか言い出して大好きが加速したり(??)。わたしより3つも年上だなんて思えないくらい親しみやすくて一緒にいて楽しくて、そんな彼女がわたしたちを送り出す送別会の企画運営に表立って関わってくれて、何とは言わないけど卒業記念にものをつくって渡してくれて。イベントが終わった後に同僚の女の子全員にハグしてまわったんだけど(怖)、Mさんの姿を見つけて仲良くしてくれてありがとう、大好きって言いながら顔見てたら急に涙が止まらなくなって。笑 この日、朝から卒業式で同級生やらサークル、研究室の同期にも会ったし他の同僚の誰を見ても泣いたりはしなかったのに、この人の顔をまじまじと見た瞬間に普通に号泣してしまって、わたしってこの人のことが特別大好きだったんだなあって実感したら更に泣いちゃった。そんなわたしを見て目の前で「何で!?」って言いながら爆笑してたけど。💢でも帰宅後に彼女から長文のラインが来て、実はあの時超我慢してた、私が泣くのは違うと思ったから必死に目を逸らしてた、って言われて次の日の瞼に支障がゴリゴリ出るレベルで泣きました(よかったね)。ずっとわたしが一方的に好きなんだと思ってたし、やさしいからそれに付き合ってくれていて、それだけでも十分うれしかったのに、彼女もわたしのことを少なからず好きでいてくれたんだなー;;意味が分からないくらい大好きすぎる。寄せ書きも貰ったり、わたしのワガママでプロフィール帳を配って書いてもらったり、他にも懇意にしてるお姉さんにわーって抱き付いたら べつにすぐ会うでしょ…って呆れられたり、なんかもうほんと良くしてもらったなって気持ちでいっぱいです。人見知り全開で、初期のわたしを知るみんなからあの時は近寄り難かった、って言われてた人間が開き直って甘えられるようになって、自由に振る舞えるようになったのは間違いなくこの職場だったからだと思う。卒業後も一緒にコピーダンスしよ~やら有給ディズニー行こ~やら言ってくれる人がいて幸せすぎます。働きに行ってたのか雑談しに行ってたのかよくわかんないようなバイトだったけど(笑)大切な思い出がたくさん出来た場所。この先も絶対に遊びに行く。

 

そんなやらで、なんだかんだ色んな人と出会ったり踊ったり喋ったり飲んだりした学生生活でした。辛いことも大変なこともあって、人生のモラトリアム!って大々的にも言えないような限界理系大学生だったけど!(笑)こんなにも充実した実生活に附随して、インターネットでも細々と書きたいことを書いて、いろんな人に見て貰えてるのって奇跡みたいなことだよなあ。改めて、わたしという人間に関わってくれたすべての人に感謝しています。ありがとう。春からも変わらず頑張っていきます。🌸

 

*1:大西担だった