きらめき水

500mLと水溶性

知らなくていいこと

 

昨日の深夜*1に待機所を見つけてから今の間まで、ずっとずっと言い表しがたいような緊張感にあてられ続けているし、予習がてら原曲を聴けば聴くほどに呼吸が浅くなっていって、じわじわと息が詰まりそうになる現象はなんなんだろう。もう本当に死にそうでやばいですいろいろと。抱えきれないよーーいきなりこんなの出されても。。

♡ 1000年生きてる / 月ノ美兎 cover - YouTube

それこそ例のすさまじいお嬢さまの登場によってここ数日、バーチャルYouTuberひいては電脳空間に在り続ける存在のことをなんとなく思い浮かべる機会があからさまに増えたのは間違いないなーと思う。それはそれとして、元々活動者だとか動画サイトの文化圏に身を置いていなかった人間としては、あの時あのタイミングで月ノ美兎のチャンネルを登録したことに対して今思い返してみてもわりと簡単に合点がいくというか、いつだってこの場所だけで夢を見せ続けてくれるみとちゃんのことを過剰に贔屓してしまうのも無理はなくて。なんかまわりくどいね。悪い言い方をすると、このブラウザの海でバーチャルYouTuberとしての生き方しかしたことのない人、という意味です。他がどうとかそういうことじゃなく。
…とまあそんなわけだから、わたしの拠りどころをどんな形であれ決してないがしろにすることのないみとちゃんのことを好きになるのは当然で、だからこんな4年近くも好きで居続けているものだと思ってた。これまでの間ずっと。ときどき彼女の顔面に添えられる「女性配信者」の5文字を見ては、こんなに的はずれな形容ってあるんだなってわらってたし…。それほどまでにわたしは、彼女が醸すあの無二の非実在性を信じ込んでいて、それを勝手に妄信したがっているもんなんだとばかり思ってた。思い込んでたんだけども。

♡ 命には終わりがあるって初めて知ったときどう思った? - YouTube

もはや概要欄を読み返すだけでぼろ泣きしそうでむりだなああ。本当に。4年間の活動のなかで何度聞いたかわからない、しまいにはこんな企画を(みんながふさぎ込むといけないという配慮のもと)土曜のお昼から敢行しだすほど死に怯える彼女を見て、見続けていて、そんなやらで1年半以上ぶりに浴びるみとちゃんのソロカバー動画に添えられた言葉が「この曲の歌詞が大好きです」だなんて、もう泣くことしかできない。あれだけ散々バーチャルがどうこうなんて考えておきながら、歳も取らなければ4年目もJKで居続けられるだとか、生きた証がインターネットの海原に残り続けるとかそういう、性質に紐づいたことに対してのエモーションをほとんど見出すことができなくて、そんな余裕どこにもなくて、なんかもうまじで、この人が人生に寄せる想いのことしか頭にない。どこまで細かく切り分けてもその最小単位は月ノ美兎でしかない、そんな彼女の、いつまで経っても得体のしれない彼女が、鈍いわたしにだって分かるくらいの苛烈をもってまで大切に大切にし続けているそれだけに想いを馳せることしかできない。この人のことが好きすぎて苦しい。

 

(この間に動画をみました)

声のよしあしとか歌のうまさっていうのが正直あんまりわかんないんだけど、どこまでも主観って先に言っておきたいんだけど、どんどん現実味の薄れた歌い方をするようになっていて はーーー好きってなる。嘘みたいに好きな声だなあ。〈生き汚く生きて何かを創ったら〉ってフレーズがみとちゃんの心を何事もなく通り抜けることなんてきっとないと勝手に思ってるんだけど、曲中でもここはひときわ必死に歌っているように聴こえるっていうのに、その必死の由来はわたしには到底わかり得ないそれだって伝わってくるからこわい。不気味だけどかわいくて、異次元。みとちゃんしか知らないことが山ほど落とし込まれている、ってことしかわからなくて好きだ。好きでしかない。というか、いまの技量をもったみとちゃんが本気のカバーをやったらこんなことになるの、当然のことなのかもしれないけど、にしたってやばすぎた…歌声そのものがいちばんの怪作だよ。。
それから何度聴いたってラスサビがつらすぎる。いや、その途中の〈顔も見られず殺せるらしい〉とかに関しては、るるちゃんの卒業に対してめずらしくネガティブな心中を語っていたあの時を思い出したりもしたんだけど。死ぬことが怖い人。意識やその記憶のすべてを失うことに尋常じゃないくらいの恐怖を感じる人。楽しく自分らしく生きるためならどこまでもパワフルになれるみとちゃんの、Aメロでの電池が切れてしまったみたいな無気力さを浴びるだけで背筋が冷えるし、そこから一変して、最後の最後では渾身の力で祈るかのようにして歌い上げるのがさあ。これまでボーダーレスにやってきた、無数のやり方で自己表現を続けてきたみとちゃんが、それらのすべてをどれだけ誇りに思っていて、同じほど大切に思っている人生を永く永く続けるための手段として誇示するような、そんな最後のフレーズの歌い方に無限に心をやられてしまってやまない。大好きな人が、自分の生きた道を誇らしく感じている、その事実に何よりも胸が熱くなる。だし、それだけじゃないよ。曲の最後、まるで自分に言い聞かせるように最後の歌詞を歌うことで、ほかでもないみとちゃんが少しでも報われてくれるのかもしれないなって、そう思えることへの多幸感がすごすぎて、そのせいなのかな。聴くたびに意味もなく泣きたくなるよ。

バーチャルYouTuberへの理解度だとか液晶にアレンジされたMVとか、インターネットとかもうそういうのを一旦すべて置いてきてしまいたい。もう説明する必要がないくらい、彼女が電脳空間で息をしていることを脳みそが十分に認識できているから。だからこそ、夜も眠れなくなるほど死ぬのが怖くてしかたないみとちゃんが、バーチャルを媒介して最高のクリエイターとして活動するみとちゃんが、この曲の概要を「歌詞が大好きです」とだけ伝えている、たったひとつのその事実だけで十分すぎるくらいに心が締め付けられるのだと思う。文脈よりもずっと近いところにいる。聴けば聴くほどみとちゃんのなかの機微というものに触れすぎてしまう気がして、その危うさにまた涙が出そうになります。

わたしたちのためだけに1000年生きる必要はないけど、他でもないみとちゃんがそう在りたいと願うんだとしたら、死にたくないみとちゃんがいつまでも生き続けられる方法があるんだとしたら、それを尊んでくれることにわたしがどれほど幸せでいられるのか、あなたはひとつも知らないままでいいんだよ。1000年と言わずにあなたが生きたいと思うだけ生き続けてほしいよ。ずっとずっと大好き。

 

*1:5/30に書いた