きらめき水

500mLと水溶性

Carpe diem


わすれたくないし、この熱量と余韻が切れてしまうことがかなしい!!!と思ったので、殴り書きしました。カーペディエム!

 

舞台「いまを生きる〜Dead Poets Society〜」を観劇した話!もちろんネタバレあり。そしてあの劇場の椅子硬すぎませんか。本当に身体が痛かった…

 

一言で言うと、多様性をゆるしてくれる作品だと感じた。話を動かす(してしまう)ニールの選択はもちろんのこと、ラストシーンの生徒らの選択がそれを物語っているなと。
わたしはこの作品のラストシーンが特に好きで、最高にきれいな終わり方だと思った。トッドの強い意志、呼応するノックスとミークス、そして何度も立ち上がろうとして立ち上がれなくて、手をギュッて握って目を閉じてしまうキャメロン。…キャメロン〜〜( ; _ ; )( ; _ ; )( ; _ ; )… キャメロンの選択のおかげで救われた観客、少なくともわたしはそう。立ち上がらなかったキャメロンが別に悪いわけじゃない、正義感がないっていうのは違うって感じたのはその前の熱演あってかな。キーティングがいなければあいつは今もここで化学の勉強をしてたんだよッッ!!!!て怒鳴るシーン。あそこの怒っているのに泣きそうな演技がすごくよかった。泣きました(わたしが)。そうだよね、キャメロンも、トッドと同じくらいニールの死に絶望していて、行き場のない感情の埋め合わせとしてキーティングのせいにしてしまう。それがその時の彼にとっての「楽な方法」だった。トッドがペリー氏のせいだと思い込むようにしたのと同じ。

だって彼ら高校2年生(※パンフレットより)なんだよ、、、ある日今まで親しくしていたそれも優等生タイプで中心的存在、ハイカースト、陽キャ属性(言い過ぎ)のクラスメートが自殺したなんて聞いたら普通取り乱す。し、トラウマになってしまっても仕方ない。

このへんがものすごく、ダンガンロンパV3の1章に近しく感じてしまって仕方なくて。ニールの席が空っぽになってしまう悲しさ、怖さ、それを見つめるノックスの遠い目。悲しすぎる。たくさんの光を受け取ったのに、その光源を失ってしまうトッドとニールの関係は最原くんと楓ちゃんにそっくりで、、最原くんと同じようにトッドも大切な人の死を引きずりながらカーペディエムを遂行していくかと思うとただ悲しい。最原くんのように、ニールの強さにこれからも支えられてトッドが前に進めることを願っています。

ここまで「残された生徒」の話をしてたから、ニール・ペリーの話もするよ。…正直今年相次いで自担の役柄が自殺するのでもうなんだか、、、(※幸男ちゃんは未遂だけど)ダンスやっている人だからか、身体の1パーツを動かすのがとてもスムーズでなおさら発砲した瞬間の左足の弛緩具合が神がかっていた、、、あれ、これは宮近くんの話ですね、、

で、ニールの選択だけれど間違えてはいなかった。と思ってる。むしろ、この選択までも否定してしまったら彼は本当にカーペディエムを見つけれない運命なのではないかって悲しくなっちゃう。ニール関連で好きなシーン、もちろんトッドと寮で過ごすシーンは軒並み大好きなんだけれど、キーティング先生の部屋に訪れる場面は忘れられない、、、あの演技がいちばん好きでした。優等生で明るいニールが見せる、絶望の片鱗がたまらなく好き。未だにニールにかけてあげるべき「楽な方法」への返答を考えてしまう。
ニールの視点で物語を追うと、何度もターニングポイントはあったはずだけれど、「死」という結末に1本の線が引かれ始めたのはこのシーンだった気がする。キーティング先生の提案ですら無理だと分かり切っている、そんなニールの絶望に充ちた笑顔が悔しい。それを周りに悟られないようにする姿はさすが。でも悔しいなあ〜〜〜……やっぱりニールが言うように他にも「楽な方法」があったんじゃないかって考え始めるとエスカレーターを逆走(病)しようとするので気をつけたい。

でもわたしがニールだとしてもパァンってやっていただろうって思わされてしまった。確か卒業しても14年は人生を拘束されるって言っていた気がする。14年ってあまりに長すぎる。それに自分の言葉は聞く耳を持ってもらえない。わたし自身の経験の浅さとか年齢からして見れば父親に同意できるシーンはひとつもなかった、ので15年後くらいにまた観たい。あんな美しい逝去はできなくても、死を考えてしまうのは無理がないかってまあそう思わせてしまうのがよくないんだけれど、、この年で観劇できたことも要因なのかな。過去には戻れないけど歳を重ねることはできるから、はやくこの作品に触れることができてよかったって感じる。

あと、ニールの好きでしかたないところは同意書を偽造タイプするところ!というかそのシーンで顕になるけれど、ニールは「父親を欺くことが出来る」って思っていたんだよね。序盤のみ見ていると、完璧超人でワガママも押し込めてしまう従順な少年のように思えるけどちゃんと年相応の一面も持っている。だからこそより魅力的なキャラクターに映るし、失った時のショックが凄まじいんだけど。

絶望して究極まで追い詰められて、父親を殺す/自分が死ぬって考えたら、父親のことも好きでいたいニールには後者しかなかったのかもな。でもニールをそこまで走らせてしまうくらいに、彼はキーティングの教えと芝居に心を奪われたわけで。ニールの運命のことを考えると誰一人責められないし、犯人探しなんて無駄だと毎回思う。だからそういう運命だったって思うしかないのかもしれない。これはニアイコール思考の放棄です(認めた)。

でもねーーニールの最期のシーンはすごく好き!ニールのセリフ、言葉を取りこぼしてしまわないようにって必死で双眼鏡を握りしめていたから、洞窟での詩がまったく聞こえなかったの悔しい、、原作読もう、、あの盛り上がりはすごい、音楽も生徒達の声も、ニールを照らす光も。ひとつの発砲が美しく感じるのはこのシーンの完成度の高さゆえに感じた。

そもそもこの作品自体(ノックスの恋やらチャーリーの奇想天外な行動とか)が元々の運命が組み合わさったら、思いがけないことが良いこともそうでないことも起こったみたいなところがあって。(トッドの成長なんて特に)その運命の歯車の中で「カーペディエム」、いまを生きるを信条にしていく登場人物がいるからこんなに魅力的であり、危うい作品だったのかななんて思いました。ただ、何度も言うけれど残される人の気持ちも死ぬほどいたたまれない、高校2年生の彼らが経験するには大きすぎる出来事だよ。でも、そのすべての生き方を尊重してあげたい。悲しいけれど不思議とそう思う舞台だった。

もっともっと拾いたいシーンとかあるんだけれど、それはそれで自分用に備忘録を残しているから割愛します。
あと!舞台装置が好き。幕ないじゃん、、!?って思っていたら上下で出番待機するの、すごい。どこまでも物語が地続きになってる。加えて、人物の影にピンスポが当たるのが好きだった。あなたがそこにいる、ってはっきり思わせてくれた。始まる前、5つ並んでいる椅子にそれぞれサスが当たっていたのもステキ。あと俳優ヲタの友人が激推ししている永田さんはすごかった、、、友人に本人は圧倒的天元突破コミュ力って言われたのに、トッドは(特に序盤)マジマジのマジの陰キャにしか見えなかったから本当に。とらまる(Travis Japanのジャニーズweb内連載)には永田さんが掲載できず、Twitterにしめちかんちゅは出演できないのどう考えてもおかしくないですか?しめちかんちゅの鼎談はたくさん見ることが出来たから、生徒6人の座談会もどこかで見たかったーーーーッ、、、生徒の交流に癒される毎日でしたありがとう、、、本当にサンキューウェルトンアカデミー、、

役者さんの演技がとにかく良くて、休憩無しでも集中力を切らさずに観劇できました。詩を思い出したいからこれは原作を読もう。そんなこんなでおしまい!宮近くんのオールマイティさを実感した作品でもありました。





追記①:鑑賞後、なんとなく命に嫌われている。の歌詞を思い浮かべてしまった。「矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう」「産まれた環境ばかり憎んで 簡単に過去ばかり呪う」「朝も夜も春も秋も 変わらず誰かがどこかで死ぬ」…歌詞の至る所がニールくんに寄り添うように聞こえてしかたない…(病気だよ)。それでもやっぱりどこかで、自分の命を軽視してしまったニールが救われる世界であって欲しいなぁ、なんて。

 

追記②:観劇中はとにかく必死でストーリーを追いかけていたからあとから思ったこととか。自分が泣いたシーンをパンフレットと照合していたら、ニールと父親のシーンでは毎回涙腺が爆発してた。わたしの中での「親に否定されること」への恐怖が呼応したのかな。やっぱり人生を親にすべて決められるのは死ぬほど嫌だし、理解し合えないことがわかっていたら踏み込もうとも思えなくなる。すごくわかる。だから、これからもレールを融解してグチャグチャにダンプカーで踏み潰しながら進んでいこうと思った〜よ〜そんな感じでカーペディエム!毎日生きてゆこう。